お気に入り、その6: 祖父母(ルーツ)
祖母:大正5年、横浜生まれ。イギリス系の混血児であった。そのため、太平洋戦争中は人知れぬ苦労があったらしい。学齢中はインターナショナルスクールに通い、英語による教育を受けたにもかかわらず、存命中に祖母の口から英語が出るのを、私は一度も聞いたことがなかった。これも戦時中のトラウマによるものだったのだろう。

それでも祖母は、英語のクロスワード・パズルは好きだったようだ。私は、祖母が晩年、クロスワード・パズルをやっているのをしばしば目にした。

1990年没
祖父(写真右):明治44年、東京浅草生まれ。隣で座っているのは祖父の弟。私は、この祖父の事がとりわけ好きであった。”宵越しの金は持たない”、気っぷの良い典型的な江戸っ子タイプ。柔道と剣道、そして書道の有段者で、古式泳法免許皆伝。

晩年は、都内のマンションで一人暮らしをしていた。そして部屋の壁には「男の一人暮らしは最高の贅沢」と自身で毛筆にしたためた紙を貼っていた。わざわざそんな物を壁に貼るなんで、本当は寂しかったのかもしれない。

私は大学時代、都内で飲んでいて終電がなくなると、よく祖父のマンションへ歩いて行き泊まったものだった。そんなときの、祖父の私を出迎える嬉しそうな顔が、今でも私の脳裏には焼き付いている。 

2001年没
幼少の頃の祖母と大叔父: この写真の詳細は一切不明。子供なのに何故飲み屋に居るのだろうか。大叔父の後ろには「海老フライ」と書かれた看板が掛かっている。

後ろの女性の髪型や服装からは、当時の風俗が見て取れる。

 祖母、七五三 (1922)

日本はこの後、軍国路線を強めて行く。そして、この写真が撮られてから19年後の1941年12月、太平洋戦争へと突入することになる。